「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10・8) (2019年2月号)
「恩恵を互いにささげ合うこと」(たまもの)は、新たなきずなと多種多様な協力関係を諸民族、諸文化の間に結ぶために、利己主義や現代社会の分断化に挑戦することを可能にする枠組みとして位置づけられるべきであることを、わたしは、使い捨てと無関心の文化に直面する中で強調したいと思います。対話は、恩恵をささげ合うことの前提となるものであり、人類を成長、発展させ、社会における権力の行使という既成の構図を打破することのできる、人間関係の幅を広げます。
ささげ合うことは、単に贈り物をすることと同じではありません。自分自身を差し出してはじめてそう言えるのであって、単なる財産や物の受け渡しではありません。そこには自らをささげることが含まれており、きずなを結びたいという願いが伴っているからこそ、贈り物をすることとは異なるのです。
このように、ささげ合うことは、何よりもまず互いに認め合うことであり、社会的きずなにとって不可欠な行いです。そこには、御子イエスの受肉と聖霊の注ぎのうちに頂点に達する神の愛が映し出されているのです。
(第27回「世界病者の日」教皇メッセージより抜粋)
【全文はカトリック中央協議会ホームページで】

|