カトリック浦和教会
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聖性への招き〜師に忠実に(2018年11月号)

教皇 フランシスコ



 聖性とはいかなるものか……イエスは、わたしたちに真福八端を与えることで、聖人とはいかなるものかを実に簡潔に説明なさいました(マタイ5・3?12、ルカ6・20?23参照)。真福八端はキリスト者の身分証のようなものです。[63項]

 マタイによる福音書25章(31?46節)でイエスは、あわれみ深い人は幸いだと宣言する真福八端の一つをもう一度考えます。神の心にかなう聖性を求めるならば、この箇所が、わたしたちの裁かれる基準をはっきりと教えてくれます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気の時に見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(35?36)。[95項]

 ですから聖人であることは、自称的な恍惚状態の中でうっとりしていることではありません。聖ヨハネ・パウロ二世はいいました。「本当にキリストの観想から再出発したのであれば、ご自分はその人であるといわれた人たちの顔に、彼の姿を見いださなければなりません」(『新千年期の初めに』49項)。マタイ福音書25章35?36節のテキストは、「愛への単なる招きではありません。これは、キリストの秘義の上に輝く光の束を投影するキリスト論です」(同)。貧しい人、苦しむ人の中におられるキリストに気づきなさいというこの呼びかけの中に、あらゆる聖人が倣おうとする、キリストのあのみ心が、そしてそのもっとも深い思いと選びとが表れているのです。[96項]

    (使徒的勧告『喜びに喜べ〜現代世界における聖性』[2018年10月刊]より))






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