カトリック浦和教会
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マルタとマリア−わたしたちを映しだしている鏡(2016年8月号)

佐藤 智宏
 

 7月17日の年間16主日、ルカの福音書におけるマルタとマリアの姉妹とイエスとのストーリーをもとに、司祭が唱える拝領祈願の文章はとても上手に作られていると感じます。「わたしたちが、マリアのように主のことばを心に刻み、マルタのように人を温かく迎え入れる者となりますように」?神の導きを信頼して、人生の、この地上のさまざまな活動を営むキリスト者にとって、自分の内にこの2人の姉妹の生き方が両立できることを指しているような気がいたします。

 マルタのように、大切な人が自分の家に来た時に温かく迎える心と、その温かい心が目に見える行動と姿勢はすばらしいものです。またより霊的にくみ取るならば、わたしたちはいかなる人ともこのように気さくに、神である主を迎えるかのように、真心からの付き合いを築いていく必要があります。同時に、マリアがイエスの「足もとに座って、その話に聞き入っていた」とあるように、キリストのよい知らせ=福音をこのように夢中になって聞くという姿勢と、その、特にわたしたちに向けての救いとゆるしについての、途方もなく寛大なことばに全き信頼をおいて生きることが何より優先されることを心に刻んで、この「みことば」を自分たちの行うすべての人間活動の土台に据えておくことが要求されます。
 マルタに対して主イエスが注意したことは、彼に対するおもてなしが悪かったのではなく、神の国にまったく関わりない、余計なことを詮索し、思い煩っていたことです。「わたしだけが」ちゃんとしている!

 それに対してこの妹(マリア)は何もしないで座っている。なんとなくイエスの弟子たちのやっていた論争と重なります。弟子の中で、そしてこの世で誰が一番偉いのか?

 そのやり取りのたびに、イエスが弟子を叱るという場面と似ています。「このわたしがどれだけすばらしいか、神さま見てください!
 でも他のやつらは大したことないんです」。このような傲慢が、主のもっとも嫌われることであることをしっかりと意識しておくことです。その心は神の国とは離れている、エゴなのです。

 人はそれぞれ神からいただいた、自分にしか与えられていないいのちの営みの「かたち」を、無償の「いただきもの」としていつも神に感謝の心をささげつつ、キリストの寛大な御心がこの自分の心にも深くしみこむように生きましょう!
 この姿勢でお互いの信仰がはぐくまれるよう、主に願いましょう。






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