カトリック浦和教会
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エサと糧(2015年6月号)

吉川 孝政  

 先日テレビドラマで食事風景が映っていました。それを見ていると、神学生時代の「ガリラヤの家」の時のモデラトール(指導司祭)の神父さんの一言を思い出しました。「ひとりで食うメシはエサじゃ」。どうしてそういうことを言うのか聞いたところ、「ひとりぼっちでテレビ見ながら、テレビと会話しているようでは、メシを食っても何の力にもならん。それでは、ただのエサ」と説明していました。確かにそうだなあと思いました。

 わたしはなるべく食事はひとりで食べないようにしています。ひとりの時もありますから、その時は行きつけの店に行きます。マスターとしゃべりながら楽しく食べられるからです。どの食事にしても、作った人の思いが込められていると思います。そこでは、マスターが、わたしが糖尿病だと知っているので、いつも気を遣ってくれて、野菜を多めにするなどしてくれます。出された料理をただ食べるだけでなく、作ってくれた人の思いや心遣いを一緒に食べているとも言えます。

 イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(マタイ4・4)と言います。わたしたちの食事は、神さまの愛がこもった食事=ミサにつながっていくものです。普段の食事がどんなに質素な食事であっても、心がこもっていればいい。それが満たされずに、ミサで「これがイエスが用意された食事」と言われても、実感が持てないでしょう。もちろんそれが難しい家庭もあると思いますが、どういう食事であれ、心がこもっているかが大事です。ご聖体と、家庭の食事がつながっているということを心にとどめていてほしいと思います。

 お恥ずかしい話ですが、わたしは神学生時代、朝ミサに寝坊することもありました、その後の朝食には必ず出ました。「ひとりで食うメシはエサじゃ」ということばを思い出します。誰かのために食事を作れば心がこもる。ミサには、神さまの心が溢れるほど込められているのですから。




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