カトリック浦和教会
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忍耐こそ聖なるもの(2014年2月号)

   齋藤 紳二


 昨年暮れに発売になった雑誌『中央公論』(2014年1月号)に、イタリアのカトリック系の雑誌に掲載された教皇フランシスコのインタビュー記事が転載されていました。すでにお読みになった方もたくさんおられると思います。
 いつものように謙遜な言葉をつかって、教皇に選ばれたときの心境から始めて現代の教会が抱える問題点を語っています。「教会は野戦病院であれ」という記事のタイトルでも分かるように、教会は癒しの場であるべきだと熱弁をふるっている部分が山場でしょう。
 しかし、私は読んでいて別の発言に心打たれました。
「私は忍耐強い神の民に中に聖性を見るのです。子供たちを苦労しながら育てる女性たち、家族が生きて行くために必要なパンを得るために労働する男性たち、病気の苦しみに耐えて生きている人たち、年をとっても、たくさんの重荷を担いながら、神に奉仕する喜びを感じ、おのずと微笑みをたたえ続ける司祭たち(・・・)」と述べて、彼がイエスや聖フランシスコと同じように、耐えつつ生きる人の側に立つ視点の持ち主であることを示します。
 この言葉は彼自身の肉親への思いにつながっていきます。「(一日一日前に歩み続ける忍耐)こそ、私の両親の聖性でした。私の父や母に多くの良きことをしてくれた祖母ローザの聖性です。祖母は聖なる人でした」としめくくっています。控えめなそれまでの発言と比べて、「祖母は聖人でした」と言い切っているところに、彼の肉親に対する深い思いがにじみ出ていると感じました。
 ここまで言い切ってくれる子孫をもった人の幸せ、そこまで言い切れる先達をもち得た人の幸せ??どちらも私とは無縁のような気がします。悲しいことに。
 




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