カトリック浦和教会
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浦 和教会の歴史

「今度は大宮のようです」2010年3月号)

   鈴木 三蛙



  「ある人々がユダヤから下ってきて『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟達に教えていた。それで、パウロやバルナバとその人達の間に、激しい意見の対立と論争が生じた」(使15・1−2)

  「バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも連れていきたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分達から離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れていくべきではないと考えた。そこで意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになった」(使15・37−39)

 使徒言行録にはしばしば、使徒たちの意見の対立が記されています。第一回目の公会議とされるエルサレムの使徒会議が開かれることになったのも、そのような意見の対立と論争が原因でした。そして聖霊の働きの下、異邦人からキリスト者になった者に、割礼の重荷を負わせないことが決議されました。
 当教会でもまた意見の対立をみることがあります。その意見の対立は、もっぱら宣教への熱意がなせるわざです。そこでは従順の誓いはありませんから、兄弟愛が最後の勝利者となるべきでしょう。そのとき聖霊は浦和教会の上に働くはずです。
 司祭達も良く議論します。最近は皆さんおとなしくなったように思いますが、かつて若かりし頃は、司教様を交え、口角泡を飛ばして一晩中議論したこともありました。それでも次の日は仲良くミサをしてそれぞれの宣教の場に散って行きます。修道者は清貧、貞潔、従順の誓願を立てます。教区司祭も清貧の誓願こそありませんが、独身と司教に対する従順の誓いをします。そして一番難しいのは従順だといわれます。それぞれが自分の思い描く宣教の構想がありますから。しかしどんなに自分の意見があっても、司教の描く宣教と司牧の理想を実現するために、最終的には司教への従順に落ち着きます。そこにこそ聖霊が働きます。
 先日Mさんが一枚の紙をひらひらさせてやってきました。「神父さま、異動がきまりましたよ。今度は大宮のようです」。ファックスで、司教様からの今年の人事異動の知らせが届きました。




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