カトリック浦和教会
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幾たび許して頂き、幾たび引き上げて頂き2009年4月号)

鈴木 三蛙



 さあやるぞ! さあはじめるぞ! このところなにをするにも自分自身にかけ声をかける必要を感じている。どうも昔の元気が出てこない。かつては感じたことのない、妙にマイナーな気分である。
そういえば最近引っ込み思案にもなってきたような気もする。五十肩とかいう肩の痛みのせいか。それとも首の回りにくくなったせいか。別に借金もないのだけれど・・。いや、神様にたいしてはいっぱいあるな。思い返せばあのことも、このことも・・。

 セウイではこの春、1人の障害を持つ青年が、4年ほどのグループホームでの生活ののち独り立ちすることになった。まだまだ心もとないが、本人も強く希望しているので、引き続きデイケアに通うことと、自分でアパートをさがすことを条件にOKを出した。すると一週間ほどでアパートを見つけたという。ところがどうもお父さんが一緒に探したらしい。お父さんから挨拶があって、独り立ちを許してくれて有り難い、感謝するという。自分1人で何でも出来るようにとグループホームを利用してきたのに、お父さんはうれしくて一緒にアパートを探したらしい。スタッフは、ちょっとそれでは約束が違うんじゃないかと思ったが、一方で親の愛とはかくなるものかと、その溺愛ぶりに驚いたのであった。

 しかし考えてみれば我々の神もかなりの溺愛ぶりかも知れない。小生も神さまには顔向けの出来ないことだらけだ。そしてみな許してもらっている。幾たび倒れ、幾たび許して頂き、幾たび引き上げて頂いたことだろう、数えることも出来ないほどだから。

 四旬節は、イエスの受難とイエスを送って下さった神の愛に思いをはせる季節。わたしたち一人ひとりに対する神の愛を思う時、その愛の深さに心はふるえる。
 間もなく復活祭、十字架の上に上げられた主が3日目に蘇った出来事の記念・・そしてそれは私たちに対する神の愛の極みというべき出来事であることに、改めて思いをはせたい。アレルヤ!

 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである

 (ヨハネ3の16)


 

        



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