カトリック浦和教会
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8月14日夜の悲劇(2005年8月号)

齋 藤 紳二  


 父は新聞記者でした。そのおかげで少し早く情報が入手できたのでしょう。昭和二十年八月十四日の夜、そのころ住んでいた深谷市の家にいつもより早く帰っ て来ると、大声で「明日戦争は終わるぞ」と叫びました。そして、近所の親戚などにそのニュースを伝えに行きました。
 知らせを聞いた大人たちは、何よりも毎晩聞いていた空襲警報のサイレンにおびえなくてもよいことを喜び合っていました。今夜から周囲に光がもれることを 気にせずに、窓を開け放して夕飯が食べられるということに、開放感を味わってもいました。 
 ところが、午後八時ころだったと思いますが、突然、サイレンが鳴り響きました。ないはずの空襲が、その夜もあったのです。
 まもなく、くぐもったような遠い爆発音とともに、南の空が真っ赤に染まりました。熊谷市に激しい焼夷弾爆撃が行われていたのです。この爆撃で同市は焼け 野原になりました。
 私たちは親戚の大きな防空壕に避難しましたが、大人たちは、無言ながら父に非難の眼差しを注いでいるようでした。ただ、父は間違いなく明日、天皇の敗戦 の詔勅がラジオで流されると確信をもって語りつづけていました。 

 六十年たった現在でもなお、世界の各地で自爆テロと呼ばれる特攻攻撃が行われています。彼らは宗教的な信念から喜んで自分の命を捨てていると言われま す。その結果、多くの市民が被害を受けています。死んでいく本人は納得していても、巻き込まれる人々にとっては、これほど理不尽なことはありません。武力 攻撃という不条理が地球上からなくなるのは、いつの日のことでしょうか。



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